
公開:2024年10月17日
現在配布中のフリーマガジン『Alku Tokyo』 vol.7(2024・秋)。連載企画「ちょっと“偏”なメトロ探訪」第7回では、作家の黒田涼さんに「歴史の舞台」という視点から、霞ヶ関駅~有楽町駅を紹介していただきました。政治の中心地として数々の歴史的事件が起きているこのエリア。誌面に掲載したスポット以外にも、たくさんの歴史の痕跡を伝える記録が残っています。今回は、本誌では紹介しきれなかった、霞ヶ関駅~有楽町駅間にある「歴史の舞台」となった場所をご紹介します。
江戸時代の名奉行、大岡越前守忠相の屋敷跡

このエリアは、江戸時代には大名屋敷が立ち並んでいました。
8代将軍・徳川吉宗が進めた享保の改革を町奉行として支えた、時代劇でも名奉行として描かれている大岡越前守忠相。本誌では、彼が手腕をふるった有楽町駅前広場の「南町奉行所跡」をご紹介しました。
そこから少し離れた東京メトロ霞ヶ関駅前にある弁護士会館には、大岡越前守忠相の屋敷跡の碑があります。ここは晩年に忠相の上屋敷が置かれた場所でした。

有楽町駅前広場の「南町奉行所跡」
仙台藩祖、伊達政宗終焉の地

このエリアの中心に広がるのは日比谷公園。
日本初の「西洋風」公園として誕生し、東京ドーム約4個分にも及ぶ敷地面積を誇るこの公園は、現在は都心のオアシスとして親しまれています。
ここも幕末までは松平肥前守をはじめとした大名屋敷があり、明治になってからは陸軍練兵場として使用されました。
日比谷交差点側から公園内に入り少し歩くと、伊達政宗終焉の地についての解説板があります。ここには、仙台藩祖の伊達政宗から3代目の綱宗の時代まで、仙台藩の外桜田上屋敷がありました。 政宗は1636年(寛永13年)にここで70年の生涯を閉じました。
日比谷公園には歴史スポットが目白押し!

伊達政宗終焉の地の解説版のすぐ近くには、「日比谷見附跡」が。江戸城外郭城門のひとつ、日比谷御門があったところで、石垣の一部が残っています。

江戸時代に造られた石橋が残っています。増上寺霊廟の旧御成門前桜川にかけてあった石橋の一つで、市区改正の道路構築の時にこの場所に移したと言われています。

レストラン「松本楼」の横には立派なイチョウの木が。「首かけイチョウ」と呼ばれるこの木の樹齢は400年以上と推定され、徳川家が江戸に本拠地を移した1590年代ごろに植えられたと考えられているそうです。

〒100-0012
東京都千代田区 日比谷公園1-6
日比谷駅
〒100-0012
東京都千代田区 日比谷公園1-6
日比谷駅

今回ご紹介したエリアは、江戸時代には大名屋敷が並び、明治時代には政府が中央官庁街を整備した場所ということで、少し歩くだけでもたくさんの歴史の痕跡が見つかります。
ぜひ本誌とあわせて、都心で見つける歴史散歩を楽しんでみてくださいね!
ライター

AlkuTokyo編集部
東京メトロで発行するフリーペーパー『Alku Tokyo』、WEBサイト『AlkuTokyo.Web』の編集部です。毎日、東京をおもしろく駆け回っています。
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